RANKING
【リッキー・パウエル】
1985年、フォトグラファーとしてのキャリアをスタート。翌年1986年から約8年間、ビースティ・ボーイズの専属フォトグラファーとして活動、4人目のビースティ・ボーイズと呼ばれる。
彼らがRun-D.M.C.(ランDMC)のツアーに出演した際に同行。アルバム『Paul’s Boutique』の収録曲 “Car Thief”ではその名もリリックに登場している。その後、事実上Def Jamの専属フォトグラファーとしてPublic Enemy(パブリック・エネミー)やLL Cool J(LL・クール・J)らを撮影するだけでなく、Andy Warhol(アンディ・ウォーホル)やJean-Michel Basquiat(ジャン=ミシェル・バスキア)、Madonna(マドンナ)など、さまざまなニューヨークのアイコンたちとカルチャーも追い続けてきた。伝説的な写真家。
ヒップホップをはじめ、様々なカルチャーシーンを撮り続けたニューヨークを代表するフォトグラファーの1人である。2021年、永眠。享年59歳。
【作品について】
“俺とイージー・Eとのやり取りは最高だよ。あれは1993年の事だ。彼は丁度、新しいレコード『It’s On(Dr Dre)187 Um Kill0a』を出したばかりで、この時は彼が滞在していたヒルトンホテルで会った。ドアを開けたらいきなりデカいブラントを手渡してきて、二人でそれをヒットしたよ。俺はビデオカメラを持ち込んだけど、彼はクールだった。カメラを手に取り、傾けて、変な角度で覗き込んでいた。俺は彼を黒いジョン・カサヴェテスと呼んでいたよ。” - リッキー・パウエル